AUTOSPORT No. 893 — November 21, 2002
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71 available scans from AUTOSPORT No. 893 — November 21, 2002, in rtl reading order. Original scans with searchable Japanese OCR; English translation pending. Drafts have not received exhaustive image proofreading; unreadable source remains recorded in the archival data.Completeness against a physical copy and any omitted inserts have not been independently verified. Preserve original printed publisher, author, photographer and contributor credits; Jay’s Archive is the scan source.
Page 40 — Japanese OCR · English pending
その中でもつとも注目されていたのが長谷見 だったことはいうまでもない その長谷見は2年当時、富士Gのマイナ ツリングに戦しているももこれ は長谷見だけではなく、同じ日産系の都平 健二や鈴木誠一トヨタ系では高橋春邦鈴 木恵一も同様だ。 しがて発足当時の富士G速いれ ども資金力が乏し者とメ力一系のド イは実力如何を問わず前座レ 戦するという珍妙な現象が起こてい そらドイバ-名で比較ば現在 のフアンはどちがメイン・レースか判断が つきかねるのではないだろうか。 どうしてマシンが遅いのか? 明確に答えられるのが長谷見昌弘 長谷見べての意味転機訪 1973年のことだ。彼は日産に戻た 71年か当時リムの監督だ 難波靖治(のちの初代二スモ社長) 「ラリカに乗せて下さい」 と頼だが難びで も乗せようとしなか。長見は証言す サトレスをてドに 乗せと返すといですよ。そ ではテストにないと言てなかなか せてくれませんでした ところが頼続けて3年目の73年難波は 急に乗てもいと言い出し。その初て スト波目見張そ起 用してい国内のリ・ドライバに て違いに速かったのだしか壊さない こうして長谷見はその後じつに15年にわた て世界ラ-選手権に戦す車両の開発 ド-を担当すこ当時の 長谷見ほ速かのか、木県野 木を計測し原はす。 70年代後半約テイモ・サロネン (1985年のWRチンビオン)と同じ スを走せてみが平地と
どがすがに下は つきましがクルマはラツイムが1秒 遅ば壊とこがだからド ライバ-を使うわはかないのです の点長谷見は申し分なか 1973年に訪れ転機はもうひとつ。 それは日産が周囲の声押さ約外の スに参戦すこへのこだわを捨て とだこれを機会に長谷見はある重要人物 とムを結成すこ。二輪モト クロス時代からの知合いだた小松久の チムに加わったのだ その前まで小嶋さんは鈴鹿でFL550と いう軽自動車のエンジンを搭載しー ユラを走せて連戦連勝だたのですそこ で上のカテゴリを目指していたすよ そのとき私がエンンを確保し小嶋さんは クルマを用意することなです。とい てもこちが用意したのは日産チユーンの エンで、金が必要だわはあ ませんでした と長谷見。翌年これとは逆に自前でク マを用意し東名エン供給を受けた のが星野だた。このとき星野は自己資金で クルマを調達している。 「自己資金を使わなかぶんオレのほう が星野よ要領がよか 長谷見はそう言て笑うこのとき長谷見 が戦したのは全日本Fだた当時はま だF3がない時代(1979年から開始) 全日本のトッカテゴリ-はF2000F はその下に位置して。 当時のFJは現在F3相当 すると考えていいのではなだろか。だ し上位に位置付られF2000は 戦車両が少なは3台か たことがるしたがつて真のミ ラ・チンピオンシッブと位置付けことに は疑問がなわではい。むし毎回20台 以上参戦しFJのが価値が と見るべきだろう
その全日本FJ選手権で長谷見は74年ら 75年か7連勝を記録2年連続全日本 チンビオンに輝てる長見が年間を 通じンオンのは71年に ングカ部門でを獲得して以来 4年ぶりのことだ 1970年代前半から半ばまでは資金力の あるものが速いクルマを手に入れて勝利をも ぎ取ていた時代でもるこの時代公平 な条件下でのレスは望べもかたの だそして熱心なンは同一条件で走 ら誰が速いのかという疑問を抱てい。長 見のト獲得はそ疑問に対す 明確な解答で。 それにしても長谷見はいたこが優れ ていたのか。小嶋はこう証言する。 じつはどうすればクルマが速くなるのか ぜいのかを明確に答えられるドイ はまの。そ点長谷見は速 くも遅くもその理由を明解かつ的確伝 える能力が。私と組でいる間ド イブ・ミスでクルマを壊ことは一度もあ りませんでした彼はだ その小嶋のもとレーングカ-設計者の 小野昌朗が合流したのは1975年末のこと だ6年F選手権インジバンに戦 するために。小野は当時を述してこう言つ 長谷見さんが乗てくれるならFとい えどもかなりの成績を期待できると思